かねて天皇陛下は、忘れてはならない「4つの日」ということを、
終戦記念日と広島・長崎の原爆投下の日、
沖縄で米軍との死闘が終わった日だ。
これらの日には長年、陛下は黙祷を捧げ続けて来られた。
初めて沖縄を訪れられたのは、昭和50年7月。
皇太子時代のこと。
ひめゆりの塔で火炎瓶を投げつけられる事件があった。
当時の沖縄は、「天皇の戦争」
との思いから、
だから関係者は、
と心配していた。
それでも陛下は慰霊のために、「何があっても行きます」
おっしゃって、現地に入られた。
事件後、陛下は、
その一節には
「(沖縄で)
とあった。
その後、陛下はこのお言葉を自ら率先して実行された。
沖縄に皇太子時代に5回、皇位を継がれてから5回と、
一番、近くは昨年6月。
対馬丸事件70年にちなんでのお出ましだった。
陛下と沖縄の“
まだアメリカの軍政下にあった昭和38年、
「豆記者」として、
訪問したのが最初。
現地へのお出ましは、
「
陛下のご真情は、
その確かな証(
追悼式の前夜
琉球古典音楽の瓦屋節(からやーぶし」
献奏されている事実だ
(沖縄独特の定型詩・
陛下の沖縄への格別のお気持ちは、
昭和天皇の御心を受け継がれたものに相違なかろう。
昭和天皇御製
「思はざる 病(やまい)となりぬ 沖縄を
たづねて 果たさむ つとめありしを」
(昭和62年)