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高森明勅
2015.6.23 09:32

沖縄と本土を繋ぐ陛下

かねて天皇陛下は、忘れてはならない「4つの日」ということを、
おっしゃっておられる。

終戦記念日と広島・長崎の原爆投下の日、そして6月23日。

沖縄で米軍との死闘が終わった日だ。

これらの日には長年、陛下は黙祷を捧げ続けて来られた。

初めて沖縄を訪れられたのは、昭和50年7月。

皇太子時代のこと。

ひめゆりの塔で火炎瓶を投げつけられる事件があった。

当時の沖縄は、「天皇の戦争」
のせいで犠牲になったー
との思いから、
反天皇的な傾向も強かった。

だから関係者は、戦跡に足を運ばれると何が起こるか分からない、
と心配していた。

それでも陛下は慰霊のために、「何があっても行きます」

おっしゃって、現地に入られた。

事件後、陛下は、予定になかったご談話を発表された。

その一節には
「(沖縄で)払われた多くの犠牲は、
一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、
人々が長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、
深い内省の中にあって、
この地に心を寄せつづけていくことをおいて考えられません」

とあった。

その後、陛下はこのお言葉を自ら率先して実行された。

沖縄に皇太子時代に5回、皇位を継がれてから5回と、
これまで合計10回もお出ましになっている。

一番、近くは昨年6月。

対馬丸事件70年にちなんでのお出ましだった。

陛下と沖縄の“出会い”は、
まだアメリカの軍政下にあった昭和38年、
沖縄の小中学生たちが
「豆記者」として、
皇太子殿下がいらっしゃる東宮御所を
訪問したのが最初。

現地へのお出ましは、
火炎瓶事件という悲しむべき出来事からスタートしたものの、

長い年月をかけて…この地に心を寄せつづけて」来られた
陛下のご真情は、
既に沖縄の人々にしっかりと伝わっている。

その確かな証(あかし)の1つは毎年、
6月22日に遺族を中心に平和祈念堂で行われている
追悼式の前夜
祭で、陛下が詠まれた琉歌「摩文仁(まぶに)」
琉球古典音楽の瓦屋節(からやーぶし」
の調べにのせて
献奏されている事実だ
(沖縄独特の定型詩・
琉歌は勿論、よほど熱心に取り組まないと、
容易く詠めるものではない)。

陛下の沖縄への格別のお気持ちは、
昭和天皇の御心を受け継がれたものに相違なかろう。

昭和天皇御製

「思はざる 病(やまい)となりぬ 沖縄を
たづねて 果たさむ つとめありしを」
(昭和62年)

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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